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Thanksgiving感謝祭........................の歴史的事実。

Ejnews:今日はアメリカ合衆国の重要な祝日の一つ感謝祭でした。最近は“サンクスギヴィング”とジャパングリッシュにもなっているんでしょうか?処で日本では感謝祭と言うとどの様な事が知られているのでしょうか?アメリカ人の間でも本当の歴史は日常生活では余話題に上らない様です。其処で、今日はインターネットから幾つかの感謝祭についての歴史的説明を翻訳してみました。以下です!

Thanksgiving Day Celebrates A Massacre
感謝祭、虐殺を祝う。


Research compiled, October 19, 1990
by Johyn Westcott and Paul Apidaca
http://www.thepeoplespaths.net/history/ThanksgivingDayMassacre.htm
Copyright © 1990 Westcott/Apidaca
All Rights Reserved
________________________________________
William B. Newell, a Penobscot Indian and former chairman of the Anthropology department at the University of Connecticut, says that the first official Thanksgiving Day celebrated the massacre of 700 Indian men, women and children during one of their religious ceremonies. "Thanksgiving Day" was first proclaimed by the Governor of the then Massachusetts Bay Colony in 1637 to commemorate the massacre of 700 men, women and children who were celebrating their annual Green Corn Dance...Thanksgiving Day to the, "in their own house", Newell stated.

ぺノブスコット インデアンで元コネチカット大学考古学部学部長のウイリアム B ニューエルは一番最初の公式の感謝祭は700人のインデアンの男女子供達を彼等の宗教儀式の日に虐殺した事を祝って行われたと言っている。感謝祭は毎年行われる感謝祭の“緑の玉蜀黍踊り”を彼等の家の中で祝っている700人の男女子供の虐殺を記念して1637年にマサチューセッツ湾植民地知事によって最初に宣言された。とニューエル氏は述べた。

"Gathered in this place of meeting, they were attacked by mercenaries and English and Dutch. The Indians were ordered from the building and as they came forth were shot down, The rest were burned alive in the building-----The very next day the governor declared a Thanksgiving Day.....For the next 100 years, every Thanksgiving Day ordained by a Governor was in honor of the bloody victory, thinking God that the battle had been won."

集会場に集まっている彼等は傭兵や英国人、オランダ人によって攻撃された。インデアン達は建物から出て来る様に命令され、出て来る所を撃ち殺された。生き残りは建物の中で焼き殺された。其の翌日知事は感謝祭の日を宣言した。其の後の100年間、知事によって定められた毎感謝祭は流血の勝利に敬意を払い、神に戦いの勝利を感謝する為に行われた。

In June 1637 John Underhill slaughtered a pequot village in just the manner described above. Narranganset Indians were used as the mercenaries. Governor John Endicott of the Massachusetts Bay Colony proclaimed the pequot war. A pequot chief of sachem named sassacus warred against the Dutch in 1633 over the death of his father. The pequot made no distinction between the Dutch and the English. The Underhill massacre was witnessed and documented by William Branford and an engraving was made illustration the massacre.

1637年6月ジョンアンダーヒルは上記で説明された様にピクワット族の村を虐殺した。ナランガンセットインデアンは傭兵として雇われた。マサチューセッツ湾植民地のジョンエンディコット知事はペクワォット戦争を宣言した。ササクスと言う名前のピクワット族の酋長は1633年に彼の父親の死についてオランダ人に警告した。ピクワット族はオランダ人とイギリス人の間に違いを見なかった。アンダーヒルの行った虐殺はウイリアムブランフォードによって目撃され記録された。そして虐殺を描いた銅版画が作られた。

The Jamestown Colony may be the source for the tradition of Indians under the leadership of Powhaton joining with early settlers for a dinner and helping those settlers through the winter. There were no pilgrims of puritans at Jamestown, however. The present Thanksgiving may therefore be a mixture of the tradition of the Jamestown dinner and the commemoration of the Pequot massacre.

ジェームスタウン植民地は、恐らくポーハントンの指揮の元インデアンが初期の移住者の夕食に参加し移住者の越冬を助けたと言う伝統の起源だろう。ジェームスタウンにはピュ-リタンがやってきた記録は無いが、今日の感謝祭はジェームスタウンの夕食とピクワットの虐殺の記念が混じりあった物のだろう。

The celebration of Thanksgiving as an official holiday possibly roots in the Pequot massacre, while the imagery is of Jamestown with pilgrims, images misused.

公式の祝日としての感謝祭のお祝いはピコワットの虐殺が起源になっている可能性があるが、ジェームスタウンのピルグリムのイメージは誤用された物である。

此処からは“http://hnn.us/articles/406.html”からです。
The Pilgrims Ate Turkey
ピルグリムは七面鳥を食べた?


What did the Pilgrims eat at their Thanksgiving festival? They didn't have corn on the cob, apples, pears, potatoes or even cranberries. No one knows if they had turkey, although they were used to eating turkey. The only food we know they had for sure was deer. 11(And they didn't eat with a fork; they didn't have forks back then.)

ピルグリムは感謝祭で何を食べたのか?彼等はカブ(玉蜀黍の軸)に付いたままの玉蜀黍、林檎、梨、ポテト、そしてクランベリーも食べなかった。彼等は当時七面鳥は食べていたが感謝祭で食べたかどうかは誰も知らない。彼等が食べた唯一つの食べ物で確実なのは鹿なのです。(そして、彼等はフォークを使って食べ無かった,当時フォークは無かったからだ。)

So how did we get the idea that you have turkey and cranberry and such on Thanksgiving? It was because the Victorians prepared Thanksgiving that way. And they're the ones who made Thanksgiving a national holiday, beginning in 1863, when Abe Lincoln issued his presidential Thanksgiving proclamations...two of them: one to celebrate Thanksgiving in August, a second one in November. Before Lincoln Americans outside New England did not usually celebrate the holiday. (The Pilgrims, incidentally, didn't become part of the holiday until late in the nineteenth century. Until then, Thanksgiving was simply a day of thanks, not a day to remember the Pilgrims.)

じゃあ如何して七面鳥とクランベリーやその様な物を感謝祭に食べるなんてアイデアを思い付いたんだろう?其れはビクトリア時代の人々が感謝祭(の食べ物)をその様に料理したからなんだ。そして(ビクトリア時代の)彼等が感謝祭を国の祝日にしたんです。其れはエイブラハム リンカーンが感謝祭大統領宣言…………..二つの………..をした1963年に始まり、一つの感謝祭を8月に、二つ目を11月にお祝いする事でした。リンカーン以前はアメリカ人はニューイングランド以外ではこの祝日を普通祝っていなかったんです。(ちなみに、ピルグリムは19世紀の後半までこの祝日の一部になりませんでした。其の時まで、感謝祭はピルグリムを記念してのお祝いではなく、単に感謝の日でした。)

The Pilgrims Landed on Plymouth Rock
ピルグリムはプリモスロックの上に上陸した?


According to historian George Willison, who devoted his life to the subject, the story about the rock is all malarkey, a public relations stunt pulled off by townsfolk to attract attention. What Willison found out is that the Plymouth Rock legend rests entirely on the dubious testimony of Thomas Faunce, a ninety-five year old man, who told the story more than a century after the Mayflower landed. Unfortunately, not too many people ever heard how we came by the story of Plymouth Rock. Willison's book came out at the end of World War II and Americans had more on their minds than Pilgrims then. So we've all just gone merrily along repeating the same old story as if it's true when it's not. And anyway, the Pilgrims didn't land in Plymouth first. They first made landfall at Provincetown. Of course, the people of Plymouth stick by hoary tradition. Tour guides insist that Plymouth Rock is THE rock.

生涯をこの主題の為に捧げた歴史家ジョージウイルソンによると、この岩についてのお話は全く嘘っぱちだそうで、町の住人が注目を引く為にでっち上げたパブリックリレーションの曲芸だったそうだ。ウイルソンの掘り起こした事実は、プリモスロックの伝説はメイフラワーが到着した1世紀以上も後、95歳の爺さんトーマスファウンスの話した当てにならない証言に全て基づいているということだ。不幸な事に、どんな過程で我々がプリモスロックの話を知るようになったのか聞いた人はそんなに多くないのです。ウイルソンの本は第二次世界大戦末期に出版され当時アメリカ人の頭にはピルグリムよりもっと別の事があったのです。だから出鱈目にも拘らず、私達は同じ古いお話があたかも本当の様に幸せいっぱいって感じでやってきたんです。其れと、兎に角ピルグリムはプリモスに最初上陸しなかったんです。彼等は最初プロヴィンスタウンに陸地を発見したんです。勿論プリモスの住人は古色蒼然たる昔話の伝統を固守していて、ツアーガイド達はプリモスロックが正に其の岩だと言い張るのです。

Pilgrims, Puritans -- Same Thing
ピルグリム、ピューリタン(清教徒)-------同じ物?


Though even presidents get this wrong -- Ronald Reagan once referred to Puritan John Winthrop as a Pilgrim -- Pilgrims and Puritans were two different groups. The Pilgrims came over on the Mayflower and lived in Plymouth. The Puritans, arriving a decade later, settled in Boston. The Pilgrims welcomed heterogeneousness. Some (so-called "strangers") came to America in search of riches, others (so-called "saints") came for religious reasons. The Puritans, in contrast, came over to America strictly in search of religious freedom. Or, to be technically correct, they came over in order to be able to practice their religion freely. They did not welcome dissent. That we confuse Pilgrims and Puritans would have horrified both. Puritans considered the Pilgrims incurable utopians. While both shared the belief that the Church of England had become corrupt, only the Pilgrims believed it was beyond redemption. They therefore chose the path of Separatism. Puritans held out the hope the church would reform.

大統領もこの事については間違うんだけれどロナルドレーガン大統領は一度ピューリタンのジョンウインスロープをピルグリムだと引用した。ピルグリムとピューリタンは二つの違ったグループなのだ。ピルグリムはメイフラワーでやって来てプリモスに住みついた。ピューリタンは10年後やって来てボストンに住み着いた。ピルグリムは種々雑多な人々を歓迎した。ある人々は富を追及する為に(所謂ピルグリムによってよそ者と呼ばれた人々)、他の人々は宗教上の理由でアメリカに来た(所謂ピルグリムによって聖人と呼ばれた)。ピューリタンは対照的に宗教的自由の為アメリカに来た。若しくは、論理的に正しく言うと、彼等は彼等の宗教を自由に信仰する為に来た。彼等(ピューリタン)は反対意見を歓迎しなかった。私達がピルグリムとピューリタンを混乱している事は(ピューリタンとピルグリム)両者をゾッとさせただろう。ピューリタンはピルグリムの事を救い様の無い程のユートピアンだとと考えていた。両者共に英国国教会は堕落したと考えていたのだがピルグリムだけが国教会はキリストの贖罪をも超えて救済不可能だと考えていたので、彼等は分離の道を選んだのです。ピューリタンは国教会は改心するとの希望を持ち続けていた。

Ejnews: と言う事でした。アメリカ合衆国の歴史、文化、彼等の内面を垣間見る機会だと思いますので次回も感謝祭についての記事を翻訳してみる予定ですがどうなります事やら...........................?


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COMMENTS

No title

和久希世さん。そうですね、生き残っている我々は何か誰かの犠牲の為に生き残って居るのかも知れませんね。

そうでしたね

どこの国でも多かれ少なかれ、
そういうことをやっていたのでしょうね。
人類の業というものなのでしょうか。

No title

和久希世さん、お元気ですか?此れは17世紀に起こった事でアメリカ合衆国は未だ建国されていない時代の話ですから、現在のアメリカ人と直接関係させるのは少し乱暴ですが、誰かが神様を担ぎ出して来ると非常に怪しいと思って良いでしょう。当時のヨーロッパからの植民者達はインデアンを襲撃したり、彼等の土地を奪う時何時もキリスト教の聖書から言い訳を探してきたのです。其の後のアメリカの歴史でも領地拡大、侵略戦争等の時は決まって“神が我々を導いている”とか“神の思し召し”だとか“野蛮人に神の教えを伝える為”だとか言っているのです。日本も昔は“神国日本”とか言っていた時代にはやはり侵略戦争をやっていましたよね.私は神様は非常に怖い物だと思います。“神が言っているから正しい”になってしまうでしょう。勿論、神は其れを信じている人間の反映ですが、信者はそう思わないので大変です。それから日本もアイヌ人の土地を北アメリカに植民したヨーロッパ人がした様に徐々に侵略し,明治時代にはアイヌは北米インデアンと同様の悲劇に見舞われると言う歴史があります。現在の我々は歴史を勉強し2度と昔の様な罪は犯さない様に気をつけたい物だと思います。

No title

ejnews様
感謝祭というから、収穫を感謝するということかと思っていたのですが、
インディアン虐殺の記念日だとは!
虐殺した事を祝う日との表現に、吃驚しました。
戦勝記念日なら兎も角・・・・・
アメリカ人もそんな人ばかりではないでしょうけれど・・・・・

やっぱり世界は広いのですね。

国籍法改正案が衆院本会議で可決されました。(2008年11月18日)

国籍法改正案が衆院本会議で可決されました。(2008年11月18日)

「 20歳未満の子供が、父親は日本人だと届け出るだけで、日本国籍を与える。」という、簡潔にして恐るべきものです。

「 子供の人身売買 」などの組織犯罪に利用されるのが、容易に推測できますが、日本のマスメディアは、その危険性を指摘した報道をしません。

---国籍法改正案---
DNA鑑定は差別行為に当たる可能性があるので、行わない。
「日本国籍男性が認知」さえすれば「女性との婚姻関係」が無くとも「20歳未満の子供」まで日本国籍が取得可能。
父親に扶養の義務は、課さない。
違反時の罰則は「懲役一年以下・又は20万円以下の罰金」
------------------

法案成立への流れの中で、
マスメディアの報道姿勢、議員、政党の法案への反応を見ていると、

「 法案の成立 」と「 DNA鑑定をしない 」ことは、「 あらかじめ決められていた 」のではないかとの、疑念を抱いてしまいます。

「 虚偽の国籍取得を防止するためのDNA鑑定 」ではなく、「 親子関係を調べるのにDNA鑑定は差別的行為 」とした判断を、日本政府は、したがっているように見受けられます。

民主、公明は政党として賛成。反対しているのは、自民の一部の人だけのように思えます。
法案反対の姿勢を見せている議員も、選挙での支持につながらないと見れば、口を閉ざしてしまうでしょう。
ネット情報に敏感な、極めて一部の人々が、関心を寄せているに過ぎません。

元厚生事務次官殺傷事件と同日に法案可決されています。

報道機関として評価できる記事を載せたのは、産経新聞だけです。
国籍法改正案審議入り 不正認知横行の懸念も MSN産経ニュース
sankei.jp.msn.com/politics/situation/081115/stt0811150054000-n1.htm
国籍法改正案 緊急対策会議で語られたこと:イザ!
abirur.iza.ne.jp/blog/entry/799264/
国籍法改正案まとめWIKI
www19.atwiki.jp/kokuseki/

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